発達障害 気づいた年齢

2023/11/27作成


気づいた年齢

私は40代になってから心療内科で発達障害の診断を受けました。

ただ自分の発達障害傾向を自覚したのはそれよりもずっと前で、2009年くらいには理解していたと思います。

当時は発達障害という言葉よりもADHDという言い方の方が多く、私自身は「ADHD」か「ADD」(多動性がないもの)ではないかと考えていました。

自分自身がADHDか興味があったのでしょう。2010年の初めにADHDのオフ会に参加しています。

東京のカラオケ店に男女10名ほどが集まって話をし、その後二次会に行くという流れでした。

現在の自助会のようにファシリテーターがいるわけでもないため、それぞれが思い思いに自分の話をし、雰囲気は合コンのようでした。

「他のADHDの人を見れば自分がそうなのかわかるかもしれない」

そう思ってオフ会に参加しましたが、正直言うとよくわかりませんでした。

自助会のように自分自身の困り事を話したりするわけでもなく、職業や大雑把な年齢などの薄い情報で皆が好き勝手に話をしていたので、私からすると皆が定型発達に見えたからです。


「自分がADHDか知りたかったのであれば、病院に行って診断を受けなかったのか?」という疑問は当然あると思います。

私は当時病院で診断を受けるという選択肢を取りませんでした。

ADHDについて調べていく中で、ADHDの成人に処方する薬がないことを知り、病院で診断名を聞く意味を感じられなかったからです。

薬 承認 歴史

当時は発達障害に対する世間の認知度も今ほどではありません。

仮に病院でADHDの診断が下りて、周囲に「私はADHDなんだよ」と言っても、受け入れられるとは到底思えませんでした。

外に伝えることもできず、薬で症状を緩和することもできない。

「それなら自分で何とかするしかない」そう考えて、周囲に話さずに生活してきました。


今では薬で症状を緩和する選択肢や自立支援医療制度などの行政のサポートがあります。

私は情報を収集することを怠り、それらの制度を知らなかったために診断を受けるのが遅れました

今では「医療」「行政」「社会の認知度」などの外部のサポートが10年前より手厚くなり、だいぶ助けられています。





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